大豆の歴史

本サイトのご利用にあたって

ご使用のブラウザ環境では、本サイトが正しく表示できない可能性があります。
以下の注意点を確認し、必要な設定を行った上で再度表示してください。

1 大豆のルーツ

大豆のふるさとは、満州、東南アジア、インドといくつかの説がありますが、確かなことはわかっていません。しかし、紀元前5世紀頃の中国で、すでに大豆が栽培されていたことが文献に記されており、その原種は中国などで自生するノマメ(ツルマメ)から発達したものといわれています。野生のノマメ(ツルマメ)は茎が細くて長く、実は大豆と比べると偏円形でかなり小さいものでした。それが、作物として育て上げられる長い歴史の中で、実が大きくなり、茎はつる状になる性質から直立する性質に変わって、背丈も低くなったとされています。また実の入っているサヤも、熟すると自然にはぜるという本来のマメ科植物の性質を失うようになりました。大豆の栽培についてもっとも具体的に書かれているのは、中国の前漢後期(紀元前1世紀後半)の「氾勝之書」。これは現在の山西省あたりの農業について記述した本ですが、その中に「大豆は不作の年でもたやすく収穫が得られる。それで飢饉に備えるための貯え物として大豆を作ることは古代人にとってごく当然のことであった……」と記されています。この文献の中で大豆は穀物として扱われており、油を取るものとしては、エゴマや麻が取り上げられています。

2 日本への伝来

古代中国で栽培されていた大豆がいつ日本に渡来したのかは、はっきりとはわかっていません。神話の世界では、「古事記」と「日本書紀」の中で「日本古来の五穀の一つ」として大豆について記されています。それによると、五穀をつかさどる「おおげつひめ」が「すさのおのみこと」に大豆を与えたということです。すなわち水稲が渡来したといわれている弥生時代に、大豆もまた日本に伝えられたと考えられています。その後奈良時代の頃に日本国内で広く栽培されるようになったようです。「正倉院文書」という奈良時代の文献の中では、大豆がその高い栄養価からか漢方薬の一種として扱われていたり、「大豆餅」との記述があるように加工して食べられていました。平安時代にまとめられた法典「延喜式」(927年)には、大豆と醤(ひしお)が稲の代わりの租税として、全国から朝廷に納められていたという記述がみられます。大豆が大切な食物として一部の階級で重用されていたことがわかります。

3 納豆・味噌・醤油の誕生

初めて中国で食料として用いられた大豆の記録は、紀元前100年頃、後漢時代の字典「説文解字」の鼓(し、和名くき)までさかのぼることができます。この鼓は、大豆などの豆に塩を加えて麹で発酵させたもので、今日の「大徳寺納豆」など塩納豆の原型といわれています。納豆菌で発酵させた糸引納豆は日本独自の食品です。いつ頃からつくられていたかは不明ですが、稲作と大豆が渡来した弥生時代以降、住居など身近にあった稲藁の納豆菌が煮豆に付いて自然と発生したと考えられています。大豆を使った味噌と醤油のはじまりは、6世紀に書かれた中国最古の農業技術書「斉民要術」に詳しく記されている鼓と醤です。鼓や醤の製法は奈良時代の遣唐使によって、また朝鮮半島を経て日本に伝わりました。中国からのものは唐醤(からびしお)、朝鮮からのものは高句醤(こまびしお)と呼ばれていたようです。奈良時代には朝廷の中で鼓(くき)や醤(ひしお)が作られ、食されていたようです。平安時代の「延喜式」には鼓と醤の製法などが記されています。それによると、京の都には醤や味噌の店があり賑わっていたということです。庶民にも次第に醤や味噌が普及する様子がうかがえます。

4 豆腐の登場

中国で豆腐がいつ頃から作られていたかはいくつかの説があり、明らかではありません。初めて記録にあらわれるのは10世紀、宋の初期に書かれた「清異録」の中です。日本へは、奈良時代に僧侶によって仏教とともに中国から伝えられたという説があります。平安時代後期、奈良春日大社の文献に「唐符」という文字がみられるのが、日本最古の豆腐についての記録です。鎌倉時代には肉食を避ける禅宗の僧侶によって精進料理として用いられ、それが貴族階級に伝わり、室町時代に茶道とともに懐石料理が広まったことでようやく国内に豆腐が浸透しました。「豆腐」という呼び名になったのも室町時代だとされています。庶民のくらしの中に本格的に豆腐が入ってくるのは、江戸時代だといわれています。江戸時代に発行された「豆腐百珍」には283種の豆腐料理がまとめられ、当時のベストセラーとなりました。現在よりも多種多様な食べ方で豆腐が食されていたことがわかります。日本で現在一般的な豆腐の製造法は「煮取り法」といい、中国、韓国、沖縄などで広く用いられている「生搾り法」とは違います。煮取り法で作られた豆腐はたん白質の抽出効率が高くきめの細かいのが特徴です。

5 凍豆腐・豆乳・ゆば

中国から伝わり日本の食生活に溶け込んだ豆腐から日本で生まれたとされる食品に、凍豆腐があります。凍豆腐は「高野豆腐」ともいわれるように、鎌倉時代に高野山で偶然誕生しました。僧侶が修行する宿坊で、ある晩豆腐を外に出し忘れて凍らせてしまい、堅くなったものを食べたのが始まりで、関西に広がりました。また冬の夜の寒さを利用して長野では「凍豆腐(しみどうふ)」が作られ、東北地方にも普及しました。豆乳とゆばは、どちらも中国で豆腐を作る過程で生まれ、古くから食べられていたようです。鎌倉時代以降、精進料理は武家や町人の間にまで流行しました。「庭訓往来(ていきんおうらい)」という室町時代の書物には精進料理として「豆腐羹」という文字があり、これが豆乳だと考えられています。ゆばは中国で「豆腐皮」といいます。豆腐と同じく鎌倉時代に僧侶によって日本に伝えられました。「ゆば」の呼び名は「姥(うば)」がなまったもので、表面に皺がよるところからきているといわれています。豆腐の副産物だったゆばですが、次第に食品として作られるようになりました。江戸時代に売られていたゆばは「巻きゆば」「糸巻きゆば」「絞りゆば」など、今日以上に多様だったといわれています。

6 大豆の栄養と機能

大豆は「畑の肉」と言われるように肉・魚・卵と比較しても遜色のないアミノ酸バランスを持っているうえ、植物性なので動物性脂肪を気にすることのない理想的なたん白質として国際的にも広く認められています。また近年になって、アメリカのFDA(米国食品医薬品局)やイギリスのJHCI(食品表示評価団体)も認めているように、大豆たんぱくにはコレステロール値を下げる働きがあり、大豆たんぱく質の摂取(1日あたり25g)は心臓病のリスク低減に効果的とされています。ソヤファームでは、豆乳では日本で初めて特定保健用食品として認可された調製豆乳を販売しています。この豆乳の開発にあたっては、新・クリアー製法が採用され、従来の豆乳にありがちな青臭みを取り除き、さらさらスッキリと飲みやすく美味しさもレベルアップしたものとなっており、多くの方にご愛飲いただいています。また新・クリアー製法の豆乳を使用し、大豆の美味しさを引き立てる乳酸菌で発酵させた「豆乳で作ったヨーグルト」は、美味しい健康的なデザートとして豆乳を敬遠される方にもお召しあがりいただいています。